奇門遁甲 コラム1 アクセスランキング

奇門遁甲 コラム1

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『風水の三合派と三元派について』

 2002年6月18日(火) 13:1:9 61.124.61.225 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 私は陽宅風水鑑定の際、まず三合派の巒頭・砂法・宅法を適用した上で、玄空派の砂法・水法・宅法を適用するという重畳的な方法を取ります。これは割とオーソドックスな方法と思われます。

 昭和40年代以降、透派の張耀文氏が来日して「五術」を伝えた際、風水については中国本来の正当な風水を伝えたとは言いかね、奇門遁甲の付属的扱い、換言すれば「奇門派」風水でした。一応原典は伝劉伯温著「陽宅遁甲図」になっていますが透派的解釈が相当混入した形跡があります。

 透派、その影響を受けた内藤文穏氏も、三合・三元という単純な2分類を持ち出して、三合派=神殺派(低レベル)三元派はハイレベルという図式で自派の優位性を主張されていた様子です。

 ちなみに風水の流派ですが、日本における芸事の流派感覚とは異なり、その名の派閥が一応は存在するものの、優秀な風水師ほど広く諸流派を知り、各派の技法を縦横無尽に併用して判断を下すものですので、流派というよりは「技法」の感覚なのです。

 例えば白鶴鳴氏の分類によると、風水理気には

1 八卦派 2 五行派 3 奇門遁甲派 4 三合派 5 玄空大卦派 6 飛星派 7 八宅派 8 

九星飛泊 9 紫微斗数風水 10 命主風水 11 翻卦派

があるとしています。

 また、鮑黎明氏は、特に

八宅周書法(大遊年卦法、八宅派)、陽宅三要法、三合法、三元法、九宮飛泊法(紫白九星派)、玄空法

(飛星法、挨星法)

を著書の中で挙げています。

 このように、人により分類法が異なるものの、大別して三合派と三元派があり、使用する羅盤も異なります。ただ、三合・三元については、鮑氏も三元の方が秘伝部分に近いと思っておられるらしいことが著書から読み取れます。

次に、御堂龍児氏については、その著書の表現が唯我独尊的部分ありと批判する向きもありますが、実質的に日本で一番正しい風水であると思っております。

鮑氏は、特に「陽宅集成」をベースにおいた論を中心に展開しており、博学でいろいろ勉強させて頂きましたが、基本的に三合派です。

以上から、日本で著書を出している「有名風水師」に対する私自身の評価は、1位 御堂氏 2位 鮑氏で、あとはおおよそ駄目という印象を持っていることを付言します。

(2004.4.5 部分修正)

『星門演卦法について』

 2002年6月23日(日) 16:54:55 61.124.61.236 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 遁甲演卦法には複数種類があります。

 挨星法も広い意味ではその範疇に属しますが、他の演卦法とは異なり、遁甲の中国原書には載っていませ

ん。

 その理由としては、そもそも九宮という要素が、中国文献上では重視されていなかったということがあり

ます。

(2002.12.18補足)九宮とは、文字通り「九つの宮」であり、"room" 入れ物 の感覚です。「活盤奇門遁甲統宗大全」その他では八卦定位の扱いになっています。日本では、虚星としての九宮を表現する用語として「九星」と呼ばれるようになり、その後この用語が台湾・香港に逆輸入されて、本来の九星と混同されて使用されるようになったと考えられます。中国風水書では九宮と呼ばず「紫白」と表現されます。原書「奇門遁甲元機」では、奇門遁甲の要素に「九宮」を明示していますから、中国原書では奇門遁甲の要素に九宮がないというのは言い過ぎになります。

 さて、遁甲演卦法は、符使式奇門遁甲の要素が多く、判断法が難しいことと(ただし判断準則自体はきち

んと存在します。「奇儀八門」については拙著『光雲流奇門遁甲術(初級篇)』「煙波釣叟歌解釈(非売品)」

を参照願います)、易理を適用したい中国人の伝統的心理から、様々な方法が試みられましたが、遁甲理論

発展途上の現象と見られます。

 日本国内でよく知られているのは、透派の星門演卦法です。

 これは、比較的的中するのですが、爻変に五行易を使用するのがやや難点です。奇門遁甲は「八門易」で、

五行易とは別術ですから、五行易を援用しなくてはならない必然性はないと思われます。したがって、誤り

とは申せませんが、部分理論として扱うべきでしょう。

 清代の「活盤奇門遁甲統宗大全」に載っているのは、「直使・直符演卦法」と「定位・八門演卦法」です。

 「直使・地盤干演卦法」、「八門・九宮演卦法」、「星・宮演卦法」が他に存在しますが、バリエーショ

ン自体は他にも考えられます。

 ちなみに内藤氏の三元九宮遁甲は、特に個人差のZ軸についてはこのような演卦法をヒントに成立してい

ます。

(2004.4.5 一部修正)


『奇門遁甲の学習と鑑定について』

 2002年7月26日(金) 15:3:12 61.124.61.134 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 従来、お客様の傾向として、奇門遁甲の術理のみを短絡的に求められるのが強くあり、私もなるべくご希

望に沿えるよう対応はしておりましたが、Eメールの交換という形では限度があります。

 奇門遁甲を教えて欲しいという気持ちはわかりますが、簡単に教えられるものではございません。

 また、教えて欲しいという人ほど、失礼ながらなぜか経済的には余裕のない方も多く、N師がよくいわれ

るとおり、「安く簡単」という考えほど悪いものはありません。

 もともと奇門遁甲は兵法ですから、占い師がやるものではありません。その意味で、私は「占い」「占術」

という表現を従来より極力斥けております。

 奇門遁甲は難しいものですので、占いが好きな方の手に負えるものではありません。数学的ですし、流派

は5万と存在しますし、少なくとも学校時代の成績が相当良かった人でないと理解困難でしょう。

 その意味では、「占い」が好きな方は方位学(奇門遁甲は方位術)は気学をやればいいでしょう。

 奇門遁甲の一般書を出しているH氏の本の影響で、命理学(子平)がわからずに奇門遁甲のみ追求する人

が多いのですが、その考えは誤りです。同じ干支系統の運命学である子平を学び、陰陽五行理論の基礎を理

解した上で奇門遁甲に進むべきであり、そうでないと先々誤解・曲解が増えて頓挫が目に見えています。

 大学教育を受けた人なら容易に理解されると思いますが、学ぶということは既存の学説を覚えることのみ

でなく自分の頭で自ら進んで行かなくてはならない側面があり、単なる知識のみの頭でっかちではある程度

以上は通用しません。まして奇門遁甲は実践を前提とした「術」ですから、「学ぶ」ものではなく「悟る」

ものなのです。

 いまだ「学ぶ」段階にある方にとっても、奇門遁甲以前に五行易、六壬、七政等は一通り学んでいること

が必要ですから、いきなり奇門遁甲のみを追求するのは無謀と言えます。

 こういう事情があるため、私としては「鑑定を利用されるのが最善です」と申し上げます。


『再び立向・座山について』

 2002年7月31日(水) 21:57:25 61.124.61.15 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 「立向と座山に関する一考察」の続きです。

 近時、勉強せよと突き放した点につき、ヒントを差し上げます。(^^)

 一般の方は、諸流派があると比較してわからなくなるので、答えを求められるのですが、それは一つの術

を徹底して実験する勇気がないことの裏返しだと考えます。このことは決して責められるものではありませ

ん。ただ、自らを実験台にする覚悟のある人のみが専門家を名乗る資格があるというのも他面の真理ではあ

ります。

 立向とは、十時一換(局)の局数体系のことで時盤1,080局。

 座山とは、六十時一換(局)の局数体系のことで時盤72局。

 他に、中国書にのみ存し、日本の公刊書に書かれていない時盤4,320局があります(但し内藤氏の書にはあり。現在日本では私のみ言及している)。

 これらを比べてどう思われますか。

 局数が多いということは、盤の種類が多いということです。それだけ精密な判断が出来る局数体系だとい

うことになりませんか。この点をよくお考え下さい。

 局数に関しては、他に「金函玉鏡」の三日一換、120局があります。これは日盤ですが、符使式では3

60局です。これも比べてみて下さい。

 奇門遁甲は元々「兵法(へいほう)」です。(「ひょうほう」と読むのは日本の剣術であり個人的だが、中国兵法(ちゅうごくへいほう)は集団的)

 「三國志演義」で諸葛孔明が司馬仲達と陣法決戦をした際、八門金鎖の法に不思議な変化を生じ、魏側の武将を虜にしたという逸話は、「短時間で変化する遁甲」、「4320局の遁甲」が真伝であることを雄弁に物語っています。

 その意味では、4320局未満の遁甲は真伝でないことになります。

 この点、「諸葛」を名乗りながら4320局でない遁甲を教えている某氏の遁甲は、「真伝」と呼べません。

 「奇門遁甲統宗大全」には、4320局ありと明記されております。

 「欽定四庫全書 遁甲演義」にも、「竒門四千三百二十局也」とあります。

 しかしながら、私以外の日本の「遁甲家」は全員、この事実を闇に葬り去って来たのです。それが日本の奇門遁甲の現実です。

 さらに、「劉氏真伝奇門遁甲」を含め、家学として伝承される流派は、4320局に到達していません。もしあると主張するなら、証拠の一端を示すべきです。

 事実、「劉氏」の原典である「奇門遁甲全書」には、4320局はおろか局数に関する記述自体がないのです。

 したがって、「劉氏真伝奇門遁甲」はあくまで「家学としての劉家の真伝」を意味し、「本来的な真伝」ではないのです。

 同様に、「金函玉鏡」は風水の「択日法」の一法として用いられますが、移転方位の選定法として、符使式よりも

当たると果たして言えるでしょうか。簡単な算数です。

 こういったことを曖昧にしたまま、いろいろあるから...と済ませることは出来ないはずです。

 72局(六十時一換)を中心に持って来る派は、「標準」などではなく「公教偽伝」と断定して差し支えありません。

こういうものが大手を振って横行するのは巷間の奇門遁甲理論が一向に進歩していないことの象徴です。

 立向・座山とネーミングしたのは「透派」ですが、存在する2つの局数体系をご都合主義で合体させただ

けかもしれませんよ。

 座山が「より静的で風水的」であるのなら、風水の矮小化的模倣と言える「造作法」は座山盤でのみ行う

べきはずですが、「透派」内部でも立向盤で行う説もあり、一貫性を欠いています。他ならぬ張耀文さんが

立向盤で「造作法」を行っていました。

 ひどい場合は、片方の盤で当たらないときの「逃げ道」としてもう片方の盤で説明するというのにも使え

るのが、「立向・座山」という概念です。

 世界規模、国家規模の事象は保留しますが、個人の場合は個人差を充分に反映する方法が透派にはないた

め、worst case ではそういうこともあり得たということです。

 したがって、立向・座山がない遁甲はおかしいという論理は成り立たないはずであり、透派に洗脳された

「信奉者」は別にして、善意の第三者から見ておかしくない方法論を取るべきでしょう。

 ただ、「造作法」が好きな人はそもそも「まじない」が好きなタイプでして、それなら「信奉」するのも

無理はないと言えますが...。(かなり皮肉ですみません)

術数は宗教ではないので信奉すべきものではないと、私自身は考えます。(^-^)


『透派について』

 2002年8月4日(日) 17:8:27 61.124.61.234 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 こんにちは。

 この掲示板での今までの話の流れ上、一度「透派」についての見解をまとめておいた方がいいと思い、書きます。

 

 透派、別名明澄派は、もと台湾在住の張耀文氏が第13代掌門(門主)であった五術門派です。ここで、

五術とは命卜相医山を指します。

 透派と日本の関係の始まりは、昭和35年に内藤正氏が気学にあきたらず、当時の運命学大家 中村文聡

氏の日本運命学会機関紙に掲載された姓名学に関する張氏の寄稿文が縁となり、「気学のもとは奇門遁甲」

との中村氏の指導もあり、「気学では命理が充分見られないので奇門遁甲でなんとか見られないか」との内

藤氏の思いもあって、五年間、文通の指導を受けたのがその馴れ初めのようです。

 内藤氏は川村高校の教諭を勤め、社会科の教科書も書いた方ですので、熱心さもあって優秀な弟子として

認められ、張氏から「文穏」という号も頂きました。

(2002.12.23補足)気学のもとは奇門遁甲であるとするのは、主に透派系の考え方ですが、中国原書(それも近・現代のものでなく清代以前の風水書)を見る限り、気学の起源はむしろ三合派風水であると言って良く、八宅派・紫白九星派の影響が強いと言えます。この点は、問題にする人がありませんが、かなり重要な論点です。三合派風水書「三白寶海」は、紫白(九宮)を「九星」と明記しており、九天星と九宮の混同は、中国でも元の時代に既に始まっていたと見られます。余談ですが、内藤氏の遁甲は、その体系にいわゆる「座山盤」(方位角45度)を継承し含んでいる面から風水的遁甲と分類することも可能です。武田氏は、内藤氏の遁甲を「気学的遁甲」と批判しましたが、符使式6層のどの要素を重視するかについての解釈の相違に過ぎないと言えます。内藤氏は、風水を奇門の上位に置くという中国の風習に従っており、陰宅の埋葬時に遁甲で事象を見るという解釈をされている点からも、私は悪意も何もなく価値中立的に「風水的遁甲」と呼んでも可と思っております。(なお、気学の淵源を動的方位術の書に求めるならば、「協紀弁方書」が最もそれに近いということになります)

 その後、昭和40年に初来日した張氏は、各地を講習しながら日本の運命学の実情をリサーチしたようですが、東

京の下北沢にあった鴨書店の店主鴨志田さんの紹介で佐藤六龍氏と出会い、初対面で佐藤氏を洗脳し(笑)、

その後スパルタ的詰め込み教育を氏と夫人の文栞氏に施し、六龍氏は日本透派掌門となり、氏所有の出版社

「香草社K.K.」からその内容を出版し、日本における拠点を築き上げました。

 さて、ここ10年位の間、特に透派に対して内外からの批判が強まっていたのですが、その原因として考

えられることは次の通りです。

1 台湾に透派は実在しないのではないかとの憶測があったこと。

2 術の内容が、自称されたようには「中国正統」とは言いかねる要素があること。

 1について。

 現地の人で「透派」を知っている人がいないというまことしやかな噂があり、張氏が張明澄と変名したこ

と(後に日本に帰化)も憶測の要因になっています。

 つまり透派は張氏一人しかいないのではないか、との憶測でしたが、これは流派に対する日本人と中国人の感覚の違

いも影響していることは確かと思われます。

 すなわち、中国では「一人一派」という感覚ですが、日本人にはそれが理解出来なかったということです。

 2について。

 透派の紫微・子平・六壬・遁甲・人相・陽宅等は、全てかなり独特であり、他派とは異なります。その意

味では異端的存在と言えます。

 以上が客観的事実ですが、私の考えを以下述べます。

 まず、張氏については、術理以前に失望している部分があります。

 それは、「四柱推命術密儀」という書において、氏が芸海と宗教を区別していながら、運命学という芸海

に一旦手を染めた者は宗教をする資格がない、という一種自己卑下的な断定がなされている点に思想的貧困

を見るからです。

 術数は「技芸」です。各人の思想・信仰と無縁ではありませんが、一応区別されるものです。こんなこと

は一派の掌門であれば先刻承知でなくてはなりません。

 こういう点はありますが、術の内容については学ぶに足るものであると思っております。ただ、教わると

いう考えで受け入れるのではなく、専門家であれば乗り越えていかなくてはなりません。(プロという表現

はあえて使いません)

 自称プロの人が、透派の受け売りに過ぎないことが従来多く見聞され、今後も容易には変わらないでしょ

うが、単なる「売卜の徒」で終わらないためには自己研鑚を積むしかないでしょう。



この記事に関するメールでの質問・お問い合わせはお断りします。


『無題』

 2002年8月4日(日) 17:46:4 61.124.61.158 削除・編集

>>氏が芸海と宗教を区別していながら、運命学という芸海に一旦手を染めた者は宗教をする資格がない、と

いう一種自己卑下的な断定がなされている

 この点、張氏も佐藤氏も「占いは頼るもの、神仏も頼るもの」「従って二者択一である」という価値観で

いることの証左だと考えられます。

 正確には、術数は「命を知った者の補益」としての役割を担うべきだと言えましょう。

#新興宗教等にお客を取られたくないのでそう書いたとも考えられるのですが(笑い)。私は、ご自由に行

って下さいという感じです。

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「命理を知らずして風水、遁甲、姓名その他開運法を用いること勿れ」


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