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「煙波釣叟歌」解釈


2004.5.10 増補


はじめに


 「煙波釣叟歌(えんぱちょうそうか)」は、奇門遁甲の、現存する最も古い文献とさ

れています。

 宋初の趙晋(922〜992年)という人が書き残したと言われている歌訣です。

太祖に仕えた功臣で、兵法家でもあったとのことです。それ以外の詳しいことはわかりません。

 現存するものは、後代の人が手を加えたと思われる箇所もあり(主に神殺について記載した、ご

く一部)、そのため偽書説を唱える人もいますが、言い過ぎであると考えています。一部加除され

た可能性がありますが、本質に影響はなく、部分的変更に過ぎないと考えられます。

 ただし、趙晋氏の奇門遁甲の流派、理解度を反映したものであることは疑いなく、その意味で

奇門遁甲の全てを語ったものであるとは言い切れないと思います。

 しかし、現代日本で話題に上る奇門遁甲のルーツは、実は「煙波釣叟歌」に記載のある符使式

です。

 現存文献では他に「奇門五総亀」という一番古いと思われる体系書がありますが、その内容も「

煙波釣叟歌」と共通する部分があります。「煙波釣叟歌」は、奇門遁甲の「憲法」といって良いで

しょう。

 「歌」と「賦」の表記に関し、末尾参考文献欄を参照して下さい。


 まず、冒頭の文章は

「陰陽順逆の妙は窮まり難く、二至また一九の宮に帰る。」

 (訳)陰陽と順逆の妙味はきわまりがたいもので、冬至や夏至になると、それぞれ陽

一局から順行し、陰九局から逆行します。

 「きわまりがたい」とは、究め難いという意味と、きわまるやいなや反対になるとい

う意味の両様に解釈されます。

 陰中に陽を含み、陽中に陰を含むということでもあります。


「もし陰陽の理を了達する能わば、天地すべて一掌の中に来る。」

 (訳)もしも陰陽の理をわきまえることが出来るなら、天地の成り行きを手の中に握

っているようなものです。

 「陰陽」は、中国思想の根本であり、諸占術の帰するところでもあります。二元論の

もたらすダイナミズム(対立抗争、相互補完、そして止揚)は、確かに現世のありよう

を鋭く捉えていると言えましょう。


「軒轅黄帝が蚩尤と戦い、タク鹿は今を経ていまだとどまらざる苦なり。」

 (訳)大変古い時代に、黄帝と称される軒轅が、炎帝の後裔と称する蚩尤(しゆう)

と、タク鹿(たくろく。タクはさんずいに豕)という場所で戦ったが、なかなか勝敗が決せ

ず、黄帝の苦しみも止まることがなかった。


 「黄帝」は、中国五術に関心のある人なら知らない人はない程有名であり、「三皇五

帝」の一人です。現在「夏」王朝の実在が確認されていますが、それより古い時代もあ

ながち伝説とは言いきれないかもしれません。人類が存在した以上は、何らかのまつり

ごとが行われたでしょうし、神話といっても、モデルになる人物が実在したということ

はあり得ることです。


「たまたま天神が符訣を授けるを夢見、壇に登り祭りを致し虔修に謹む。」(A)

 (訳)たまたま天神が彼に符訣を授ける夢を見て、壇に登ってその神を祭り、謹んで

祈りをささげました。


「神亀が図を負って洛水より出で、彩鳳が書をふくみ碧雲のうち。」(C)

 (訳)神亀が洛水から出て、その背中に図案があり(河図は伏儀の時代、洛書は大禹

の時代)、彩鳳が碧雲の中から飛び出してきて、書を落としました。(複数の時代の出

来事です)


「よりて風后に文を演成するを命じ、遁甲奇門これより始まる。」(B)

 (訳)黄帝は、風后(この名も夢に出てきたとの説あり)に命じて符訣を研究布演さ

せた結果、河図洛書と合わせ、奇門遁甲を作成出来ました。これが奇門遁甲の始まりで

あります。そしてこれにより、ついに蚩尤に勝利することが出来ました。


 文脈上、AとBがつながるので、Cは明らかに挿入です。

 この箇所で、奇門遁甲に関する直接の歴史的事実と目されるのは、Bしかありません。

 風后という人の力があって、奇門遁甲が生まれたということです。当時の天文家でし

ょうが、今日的には数学者のようなものかも知れません。

 Cは、先天定位と後天定位の由来について述べたものです。中国風水では、両者を使用します

が、奇門遁甲では、実は方位に関しては後天定位しか使用しません。

 Aでは、術数である奇門遁甲が、神授のものであることを思わせる表現がされています。

 「天神」は、必ずしも道教の神様ではないかも知れません。もう少し格式の高い神の

ような印象を受けます。すなわち、これが権威付けのための作り話ではないという前提

での話ですが、一種の神話的要素ありと見ても良いのではないかと考えられます。

 奇門遁甲は、戦いの中での現実の必要に迫られたときに神授された方法だという位置

付けです。その点では、人間が工夫して作ったというよりは、人間の都合を超えた部分があり、天

意は曲げられないということが示されているように思います。


「一千八十を当時制し、太公測りて七十二となす。」

 (訳)当時は1,080局ありましたが、太公望呂尚が72局にしました。

「漢代の張子房に逮び、一十八局で精芸となす。」

 (訳)漢の張良は十八局にし、十八局として伝わっています。


 ここは、時代が下るにつれ、局数がだんだん減らされて行ったという事実のみを述べ

ています。

 しかし、「使えない」遁甲にされて行ったことを意味しています。なぜか。防諜対策

です。

 兵法として生まれた以上、政治上は隠すことが要請されたからです。

 焚書坑儒もその一例です。

 この部分、太公望と張子房に言及され、諸葛孔明に触れられていないのは不自然では

ないか、という見方もあるかも知れません。この3人は、真伝を知っていたと言われて

います。

 この直後にもう少しあった記述が削除された可能性もあると思います。

 ただ、宋初の当時、孔明の奇門遁甲は既にかなり神仙化された形で伝わっていたため

に、遁甲の公式(?)文書であるこの歌訣に載せるのはふさわしくないと、原作者趙晋

氏が判断したためかも知れません。


 奇門遁甲は、歴史上、真伝の消滅→復元を繰り返して今日まで来たという側面があ

ります。復元といっても、特定の人が頭と経験(実験)により復元するので、一代限り

でしょう。

 この点、○○流が△△氏に代々細々と伝わり、今日まで命脈を保ってきた式の言い方

は、少し違うのではないかと私は考えます。家学の形で伝わるのは、やむを得ず、既に

亜流化した内容を伝えるのだろうと思います。

 真伝と言っても1つではなく、色々な方式のものがあるとされています。

 その中の1つ、符使式の作盤法について、「歌」は次のように述べています。


「まずすべからく掌中に九宮を排するべく、縦横十五その中に図る。」

 まず手のひらで九宮をならべ、縦横加え合わせて15になるようにします。

「次まさに八卦を八節に分け、一気で三を統じて正宗となす。」

 次に八卦で二十四節気を分け、一節に三元があるのを正しいものとします。

「陰陽二遁は順逆に分かれ、一気三元人測るなし。」

 陰遁陽遁はそれぞれ逆行、順行し、1つの節気の中には元が3つ(上元・中元・下元)含まれています。

「五日すべて来たりて一元に接し、節気超神を準則となす。」

 上中下の各一元は五日間あって、超神節気によって、節気から遠く離れないように調整されてい

ます。

「九宮を認め取れば、九星を為し、八門また九宮をおって行く。」

 九宮を認め取ったら、次に九星を配します。八門も九宮をおって巡って行きます。

「九宮が甲に逢いて値符となし、八門の値使自ずから分明。」

 甲と直符、直使の門は切り離すことの出来ないものです。

「符上の門を値使となし、十時一易は憑據に堪える。」

 符上の八門が直使であり、十刻(20時間)で替ります。

「値符常に遺し時干に加え、値使順逆で宮に遁す。」

 直符は常に時干に加わるもので、直使の門は陽順陰逆で各宮に配していきます。

「六甲の元号は六儀の名、三奇すなわちこれ乙丙丁。」

 旬首は六儀になり、三奇とは乙、丙、丁を言います。

「陽遁は順儀で奇は逆布、陰遁は逆儀で奇は順行。」

 陽遁は戊己庚辛壬癸丁丙乙の順に配し、陰遁は癸壬辛庚己戊乙丙丁の順に配します。


 作盤法については、解説は加えません。各自でご検討下さい。


「吉門たまたま三奇に合えば、万事開三万事宜し。」

 (訳)吉門が三奇に会えば、万事に良い吉方となります。


「さらに旁より検点を加えるに合し、余宮も微疵あるべからず。」

 (訳)吉門を得て、三奇を得なくとも用いることは出来るが、奇を得ても門凶であれ

ばついに吉を得ることはできませんし、三奇と吉門ともに得ることができないなら凶の

場合多く、その軽重をよく検討しなければならない。また、宮内にある九宮、九星、八

神がいかなるものであるかを詳細に見、そうした他のものが良くなければ、微かなキズ

を示すもので、全吉とはいえません。


 ここは吉凶判断の総論部分で、各論としての吉凶格は、以下に続いて行きます。


「三奇得使はまことに使うに堪え、六甲これに逢うは小補にあらず。」

 (訳)三奇得使はまことに良いもので、三奇の下に六儀(ただし乙己、丙戊、丁壬)

があっても大吉です。


「乙が犬馬に逢いて丙は鼠猴、六丁玉女は龍虎に乗る。」

 (訳)乙己、丙戊、丁壬のみを吉とします。


「又三奇有りて六儀に遊び、號して玉女守門の扉と為す。」

 (訳)玉女守門とは、丁奇と直使の門が逢うものを言います。


「もし陰私和合のことを為すは、君よりただこの中に向かいて推せ。」

 (訳)もし隠れごとや男女和合の喜び事を求めるには、この方位を使うべきです。


「天三門や地四戸、君に問うこの法いかに処するや。」

 (訳)天三門と地四戸というものがあり、これはどう使うのでしょうか。


「天衝小吉と従魁、これはこれ天門ひそかに路に出ず。」

 (訳)天三門とは「天冲、小吉、従魁」のことです。密かに出ていく、逃げるのに良

い方位です。


「地戸は除危定と開、事を挙げるは皆この中より去る。」

 (訳)地四戸は「除、危、定、開」のことで、事を挙げるのに良い方位です。


「六合、太陰、太常の君、三辰元これ地私門。」

 (訳)六合、太陰、太常の三支を地私門とする。「十二支将」の三神です。八神とは

別です。


「さらに奇門相照り輝くを得るは、門を出ずるは百事総て欣欣なり。」

 (訳)地私門に、三奇と吉門が共に加われば、必ず喜ばしい勝利を得るものでありま

す。


「天衝天馬最も貴となし、猝然難あれば宜しく逃避すべし。」

 (訳)太衝天馬は最も貴であり吉なので、突然の難があった場合この方位に逃避する

のが宜しい。


「ただよく乗り天馬を馭し行き、剣戟山のごときも畏るるに足らず。」

 (訳)太衝天馬の吉方は、敵中であっても恐れるには足りません。


#そろそろ次段落あたりから、「おぞましい」凶格がぞろぞろ出て来ます。自然、筆も鈍

りますが、凶格がわからないと吉方が選べませんので、我慢して読んで下さい。

 以下は、従来の奇門遁甲で、いかに甲尊が重視(実は偏重)されているか、という話

題になります。


「三は生気となし五は死となす。勝ちは三にあり衰は五にあり。」

 (訳)直使の門が震宮に加わるのを生気となし、これに向かえば勝利あり。直使が中

宮に加わるのは死気で良くない。

「三に遊び五時を避くるを識る能わば、造化の真機すべからく記取すべし。」

 (訳)震宮の方位を利用し、直使中宮時を避けることを識ることが出来たら、(その

ことは)造化の真機で、よく記憶しないといけません。


 まず、後天八卦定位の中の局数(九宮)で三と五が出て来ていますが、これは日本の

気学的に、九宮(九星)として解するべきではありません。

 地盤「甲尊」と連動するのが「直使の門」ですので、(旺相死囚休でいえば「旺」な

のですが)生気と表現されています。

 地盤甲尊が中宮にあると、死気になり、また、中宮以外の八方位に甲尊がないことに

なるから、この時に行動するのは損である。

 従来の奇門遁甲で甲尊が大吉とされたのは、主に次の理由によると考えられます。

 黄帝建国時を干支のスタート点としたわけです。現在の暦では、(なぜか寅月の立春

が年の区切りのため)存在しない干支の組み合わせですが、理論上スタート点の干支は

次の組み合わせだったと思われます。

 時 日 月 年

 甲 甲 甲 甲
 子 子 子 子

 古代、「甲」は最初の太陽を表し、最も尊重されたようです。

 ちなみに、「子平」でも上の命造は、甲が喜神となります。

 昔は主に集団の戦闘に使用されたので、その際は「公約数」的吉凶として甲尊大吉と

するのは、あながち的外れではないでしょうが、個人別の用法としては、子平で甲が忌

神の人が甲尊を使うのは「とんでもない」と言えるでしょう。


 「奇門遁甲は国家公用のもの」という言葉があります。私は以前、それだけ貴重なも

のなのだろうという受け取り方をしていました。(それ以外に、「私的欲望充足のため

のものではない」とも言われます)

 しかし、術理と結びつけると、次の意味合いがあることに気づきました。

 甲尊は、「求官」と言われる通り、地位の向上に関係があり、国王や帝を象意として

含みます。

 国家が分裂状態にある場合に、中央集権の確立を目指して軍事行動に及び、天下を統

一せんとする行動は、まさに「甲尊」と関係があり、甲丙の「青龍返首」や丙甲の「飛

鳥跌穴」の「大吉方」が主に用いられたのかもしれません。

 上のようなことは、占的に合うとも言えますし、奇門遁甲が「帝王の学問」と称され

ることがあることとも符節を合するようです。

 これは、必ずしも覇道とばかりは言えず、王道を実現するための現実的な方策とも言

えたでしょう。

 しかし、これにより天下人となった人が、歴史上、徳治政治を必ずしもしなかったの

は、中国の歴史を少しでも学んだ方ならご存知でしょう。

 そこに、天意と現実の人間の思い、行動との間に乖離があったと考えると、この世は

難しいものだと思います。

 最後がお堅くなりましたが......(^^;)


「なかんずく伏吟最も凶となし、天蓬が地天蓬に加著す。」

 (訳)伏吟とは、九星天蓬が定位の天蓬に来るのを言う。門の伏吟も、定位に来るの

を言い、最凶です。

(九星すべて伏吟があります、念のため)


「天蓬もし天英上に至れば、すべからく知れすなわちこれ返(反)吟宮。」

 (訳)天蓬が天英位に来るのを返吟(反吟)といい、他の九星も伏吟、反吟が皆あり

、天地盤同干を伏干という。


「八門返伏皆かくのごとし、生は生にあり死は死にあり。」

 (訳)返門(反門)伏門も同様で、定位生門に生門が、定位死門に死門が来るのを伏

門と言います。


「なかんずくこれ凶宿奇門を得るは、萬事皆凶使うに堪えず。」

 (訳)このような場合、たとえ三奇、吉門を得たとしても使うことはいけません。干

、門、星の伏吟、反吟の凶意が現れます。


 「最凶」とありますが、必ずしもそうとは言えません。ただし、凶門の伏門は確かに

最凶といっても差し支えないと思います。


「六儀撃刑何ぞ大凶、甲子値符東に向かうを愁う。」

 (訳)六儀撃刑とは、地支互刑自刑となるをいい、大凶とされます。甲子の六儀は戊

で、天盤の戊が東(震宮)に来るのは、子が卯を刑するので六儀撃刑。


「戌は未を刑し申は寅を刑し、寅は巳を辰は辰を午は午を刑す。」

 (訳)天盤己が坤に来る、天盤庚が艮に来る、天盤辛が離、天盤壬、癸が巽に来る。

全て六儀撃刑です。


「三奇入墓よろしく細推すべし、甲日なんぞ坤宮に入るに堪える。」

 (訳)三奇入墓は詳細に推究しないといけません。甲日に坤の未宮に入るのは未は墓

庫なので使用するに耐えないことになります。


「丙奇火に属し火墓は戌、この時諸事為すに宜しからず。」

 (訳)丙火の墓庫は戌乾宮。このときこの方位は使うべきではありません。


「さらに乙奇六に来臨するを兼ね、丁奇八に臨むもまた同じに論ず。」

 (訳)天盤乙が乾宮に、天盤丁が艮宮に来るのも、三奇入墓として凶とすべきです。


「また時干あり墓宮に入るは、課中時下相蓬を忌む。」

 (訳)時干入墓は、盤中、その時刻の干支が墓に逢うのを言います。


「戊戌、壬辰と丙戌、癸未、丁丑また同じく凶。」

 (訳)戊戌時に天盤戊が乾に逢う、壬辰時に天盤壬が巽に逢う、丙戌時に天盤丙が乾

に逢う、癸未時に天盤癸が坤に逢う、丁丑時に天盤丁が艮に逢うのを凶とします。


「五不遇時は龍精ならず、號して日月光明を損ずるとなす。」

 (訳)五不遇時は凶で、日月の光明を損なうとされています。


「時干来り日干上を剋し、甲日すべからく知るべし時庚を忌むと。」

 (訳)時干より日干を剋する時をいい、甲日の庚時、乙日の辛時、丙日の壬時、丁日

の癸時、戊日の甲時をいいます。


 五不遇時は、透派では詳しく解説されていますが、「憲法」にはこの程度しか載って

いません。

 「奇門遁甲天書評註」に所載の事例です。

 C氏が初来日した際、「沈船」の五不遇時出航の客船の切符を払い戻

して、難を避けたとあります。その船は難破したそうですが、凶格が併発していたため、

五不遇時のみの作用とは言えない事例になっています。


「奇と門太陰と共にし、三般共に加臨するを得難し。」

 (訳)三奇、吉門、太陰の三者が揃うのはあまりありません。


「もしかえって二を得るもまた吉と為す。挙措行蔵必ず心を遂げる。」

 (訳)二者が加わればやはり吉です。することも隠すことも必ず意のごとくなります。


「さらに値符値使の利を得るは、兵家の用事最も貴と為す。」

 (訳)さらに直符、直使を得るなら、兵事に用いるに最も貴重です。


「常にこの地よりその衝を撃たば、百戦百勝君すべからく記すべし。」

 (訳)この方位から対冲方位を攻撃すれば、百戦百勝であることを忘れてはなりませ

ん。


 上は、今日的な意味は薄れている「戦闘」の項目ですが、兵法としての奇門遁甲の

本質をよく表しているとも言えます。

 注目すべきは、「立向盤」と「座山盤」を用いた「行軍三奇」とは異なり、1つの盤

の中での布陣法を説いていることです。

 このような用法が、現在でも台湾の遁甲の主流であることは、知っておくべきでしょ

う。

 「歌」にも、「立向」「座山」という言葉は出て来ません。


「天乙の神、宮に所在すれば、大将宜しく居て対衝を撃つべし。」

 (訳)直符が宮にあれば、大将は対冲方位を攻撃するべきです。


「たとい値符離位に居ても、天英座して天蓬を撃つを取る。」

 (訳)もし直符が離位にいれば、離位天英から坎位天蓬を攻撃出来ます。


「甲乙丙丁戊の陽時、神人天上報じ君知る。」

 (訳)甲乙丙丁戊を五陽時といいます。


「座撃はすべからく天上奇憑るべし。陰時地下またかくのごとし。」

 (訳)五陽時は天盤干に三奇があることが攻撃できる条件です。己庚辛壬癸を五陰時

といい、地盤干に三奇があることが攻撃できる条件です。


「もし三奇五陽にあるを見れば、ひとえに宜しく客これ高強となすべし。」

 (訳)五陽時に天盤干に三奇があれば、もっぱら攻撃側が勢い強いと見るべきです。


「忽然と五陰位に逢著するは、また宜しく主裁き詳らかにするを好むとなすべし。」

 (訳)五陰時に遷移した際、また守備側が勢い強くなる条件がないか詳しく検討した

ほうが良いといえます。


 五陽時に天盤干に三奇(乙丙丁)があると、この方位に陣した軍が有利です。

 五陰時に地盤干に三奇があると、この方位に陣した軍が有利です。


「値符前三は六合の位、太陰の神前二にあり。」

 (訳)直符の前に三つ進んだところは六合であり、二つ進んだところは太陰です。


「後一は宮中九天となし、後二の神は九地となす。」

 (訳)直符の後に一つ退いたところは九天であり、二つ退いたところは九地です。


 ここは、八神の配布法を述べています。


「九天の上兵を揚ぐるによく、九地潜蔵立営すべし。」

 (訳)九天は兵を揚げるに良く、九地は潜み隠れるに良く、密かに陣営を立てるにも

良いのです。


「伏兵ただ太陰位に向かい、もし六合に逢わば逃形に利す。」

 (訳)伏兵を置くには太陰の位に向かう形にするのが良く、向かう所が六合であれば

、逃げるのに利ありとします。


 八神の吉神の用法です。


「天地人三遁名を分け、天遁は月精にして華蓋臨む。」

 (訳)天遁、地遁、人遁と名づけられるものがあります。天遁は月精に華蓋が臨むも

のです。


「地遁は日精にして紫雲蔽う。人遁まさに知るべしこれ太陰。」

 (訳)地遁は日精に紫雲が蔽うものです。人遁は太陰であると知らなければなりませ

ん。


「生門は六丙六丁に合す。これ天遁となす自ずから分明。」

 (訳)天遁は月奇である丙が天盤、地盤に丁(一説に戊)生門の臨むをいいます。


「地遁は休門六丁太陰と共に取る。」

 (訳)(原文の地遁は人遁の誤り)人遁は丁が天盤、休門、太陰が臨むをいいます。


「開門は六乙六己に合す。地遁かくのごときのみ。」

 (訳)地遁は乙が天盤、己が地盤、開門が臨むをいいます。


「三遁何の所宜しきか知るを要す。蔵形遁跡これ美となす。」

 (訳)三遁がどういう点で良いかといえば、形を隠したり、遁走するのに効果的であ

ります。


「庚太白となし丙ケイとなす。庚丙相加誰が会得せん。」

 (訳)庚を太白とし、丙をケイとします。庚丙が加わるのを誰が理解しているでしょう

。ケイは災いの意。


「六庚丙に加わるは白入ケイ、白入ケイ賊すなわち来たる。」

 (訳)庚丙は白入ケイといい、賊がすぐにやって来ます。


「ケイ入白賊すなわち去る。」

 (訳)丙庚はケイ入白で、賊がすぐに去ります。


 これも凶格です。


「丙は悖となし庚は格となす。格はすなわち通じず、悖は乱逆。」

 (訳)丙は悖とし、乱れ逆らうを意味します。庚は格で、通じないことです。


「丙天乙に加わるは伏逆となし、天乙丙に加わるは飛悖となす。」

 (訳)丙が天盤、年月日時干が地盤は悖格とし、年月日時干が天盤、丙が地盤は飛悖

とします。


「庚日干に加わるは伏干となし、日干庚に加わるは格に飛ぶ。」

 (訳)天盤庚、地盤日干は伏干とし、天盤日干、地盤庚は飛干とします。


「一宮に加わるや野において戦い、一宮に同ずるや国において戦う。」

 (訳)伏干または飛干があると戦いになり、天地盤庚庚で日干も庚だと大きな戦いに

なります。


 天地盤「庚庚」は、伏吟戦格と呼ばれます。


「庚値符に加わるは天乙伏し、値符庚に加わるは天乙飛す。」

 (訳)天盤庚、地盤甲は伏宮格とし、天盤甲、地盤庚は飛宮格とします。


「庚癸に加わるや大格となし、己に加わるは刑となし最も宜しからず。」

 (訳)天盤庚、地盤癸は大格、天盤庚、地盤己は刑格とし最も良くありません。


 「庚己」が良くないのは、「庚戊」と異なり、湿土「己」が生金するからです。


「壬加わるの時上格となし、また年月日時に逢うを嫌う。」

 (訳)天盤庚、地盤壬は小格、また年月日時干に逢うのを嫌います。


「さらに一般の奇格あるは、六庚謹んで三奇に加うるなかれ。」

 (訳)さらに、乙丙丁の三奇に庚が加わるのは避けなくてはなりません。


 「丁庚」のみは、中吉です。「火錬真金」と呼ばれます。

 『奇門遁甲秘笈全書』では「年月日時格」とされますが、ここは透派の解釈が正しい

ようです。


「この時もし兵行きて去るは、匹馬隻輪返期なし。」

 (訳)この時兵を出せば、一頭の馬も一台の戦車も帰ってくることはありません。


 上の箇所は、全体として、「庚=大凶」を述べています。

 甲尊優位の立場をとる以上、その七殺である庚が悪者になるということです。

 また、「子平」の書である『滴天髄』にも、

 「庚金帯殺、剛強為最、...、能勝甲兄、...」と説明されています。

 「奇門遁甲」の名称の説明には、いくつかのバリエーションがありますが、三奇(乙

丙丁)が甲尊の天敵である庚儀を、それぞれ「干合」「熔金」「錬金」して、甲を遁(

に)がすという理を、そのまま名称にしたものです。「門」は三吉門のことです。

 日本・中国に限らず、「八門遁甲」と呼称されることも多いのですが、その示す内容は大差ありません。  しかし、「八門遁甲」は九干が要素として含まれていないか、使用しない方位術のため、「奇門遁甲」よりは精度の落ちる点は止むを得ません。ただ、「金函玉鏡」方位を八門遁甲としている派もあり、さらに「中門」を加えて九門とし、陽順陰逆に配布する飛宮式八門遁甲もありますので、それで実証が伴うのであれば、特段非難するには値しません。 ただ、歴史上、奇門遁甲は、天子(皇帝)=甲尊個人の身の安泰を計り、天子が先陣にあって敗死しない、もしくは遁がすことを目的とした方位術なので、概ね三国時代以前は、それ以外の兵士の生死などは配慮されていなかったと考えるのが穏当なところでしょう。「大将首」を取らなければ決定的な勝敗はつかないことを考え合わせれば、むしろ自明のことと存じます。  さらに、日本兵法の一派(日取り)では、八門しか吉凶判定に使用しないので、「八門遁甲」の一種に分類することが可能でしょう。  次に、方位術として「奇門派」「遁甲派」の両派が存在したと言っている人もいますが、「遁甲派」については術の内容が不明確でメインの方位術とは思えない要素があります。注目すべき意見として、ハンドルネーム玄珠氏(本名佐藤某氏)による「木星運行象徴化説」と呼べそうな意見があり、春秋戦国時代頃までは術名も遯甲と呼ばれていました。宋代以降の年代が確実な文書に、「遁甲奇門」または「奇門遁甲」という用語が現れるようになり、現在の奇門遁甲へと至っています。(2004.5.9補注)

 奇門遁甲には、命理的要素があります。

 「甲尊」の優位が、現在ではかなり相対化していると考えると、個人別用法は違うと

述べたのに理由あることをおわかり頂けたでしょうか。


「六癸丁加わるは蛇夭矯、六丁癸に加わるは雀投江。」

 (訳)天盤癸に地盤丁はトウ蛇夭矯の凶格、天盤丁に地盤癸は朱雀投江の凶格。


「六乙辛加わるは龍逃走、六辛乙加わるは虎猖狂。」

 (訳)天盤乙に地盤辛は青龍逃走の凶格、天盤辛に地盤乙は白虎猖狂の凶格。


「請う四者を観るはこれ凶神にして、百事これに逢うは手を措くなかれ。」

 (訳)この四凶神にあったら百事油断のないようにお願いします。


 天盤干と地盤干が陽干同士、または陰干同士の「剋」になる場合、凶方になります。

 四凶神はその一例です。


「丙甲に加わるや鳥鉄穴、甲丙に加わるや龍返首。」

 (訳)天盤丙に地盤甲は飛鳥跌穴の吉格、天盤甲に地盤丙は青龍返首の吉格。


「ただこの二者はこれ吉神、なす事意のごとく十に八九。」

 (訳)この二吉神にあえば、十中八九、なす事意のごとくなります。


 「丙甲」「甲丙」がなぜ大吉か、さらに説明してみましょう。

 黄帝軒轅の建国の年月日時を再掲しますと、

 時 日 月 年

 甲 甲 甲 甲
 子 子 子 子

 「子平」でみると、水の喜忌は別にしても、水→木→火と順生し流通しますので

、「丙」は有力となると同時に、調候的にも是非必要で、この従旺格の命造にとって大

忌となるはずの、官殺「庚」を熔金して弱めます。

 青龍は「甲」木性の東方で、首を廻して西方金「庚」を見返している。したがって「

青龍返首」。

 また、飛ぶ鳥(酉で「庚」)も穴に躓く。したがって「飛鳥跌穴」。

 黄帝建国の年月日時になぞらえて語っているのが、「煙波釣叟歌」の奇門遁甲である

と言ったら、言い過ぎになるでしょうか。


「八門もし開休生を過ぐれば、諸事これに逢うは皆趁情。」

 (訳)八門が開休生であれば、諸事ますます吉。


「傷は宜しく捕猟しついにすべからく獲るべし。杜は邀遮及び隠形を好む。」

 (訳)傷門は漁労捕獲に良い。杜門は待ち伏せと物を隠すのに良い。


「景は上投書並びに破陣、驚はよく擒頌し聲名あり。」

 (訳)景門は試験、文書事と敵陣を破るのに良い。驚門は賊を捕らえ名を上げるのに

良い。


「もし死門何をつかさどる所と問わば、ただ宜しく死を弔い刑を行ずるべし。」

 (訳)死門は、死を弔い、刑を行うに良い。


 開休生を三吉門と呼びます。

 景門は、吉凶相半です。


 「死門」の方位に出かけると、道に迷う傾向があるようです。移転方位としては絶対使用しては

なりません。


「蓬任衝輔禽は陽星、英ゼイ柱心は陰宿名。」

 (訳)蓬、任、衝(冲)、輔、禽は陽星、英、ゼイ、柱、心は陰星です。


「輔禽心星上吉となす。未だ全て亨らず。」

 (訳)輔、禽、心は上吉とします。衝、任は小吉で完全ではない。


「大凶は蓬ゼイ使うに堪えず。小凶は英柱精明ならず。」

 (訳)蓬、ゼイは大凶で用いることが出来ません。英、柱は小凶で精明ではありませ

ん。


「大凶無気変じて吉となし、小凶無気またこれに同じ。」

 (訳)大凶の九星も囚死の場合吉となり、小凶の九星も囚死の場合吉となります。


「吉宿さらによく旺相すれば、萬挙萬全功必ず成る。」

 (訳)吉の九星がさらに旺相すれば、万事万全で必ず成功します。


「もし休囚並びに廃没に遇わば、君に勧む必ずしも前程を走らざることを。」

 (訳)(吉星が)もし休囚死に遇えば、その方位を使用しない方が良い場合もありま

す。


「九星五行を配するを識るを要せば、すべからく八卦を求め経の義を考えるべし。」

 (訳)九星の五行の配置を知ろうとすれば、八卦を求め易経の義を考えなくてはなり

ません。


「坎の蓬は水星にして離の英は火。中宮坤艮土にして営となす。」

 (訳)坎位蓬は水行、離位英は火行。中宮、坤位、艮位は土行で本営にたとえられま

す。


「乾兌は金となし震巽は木。旺相休囚は重軽を看る。」

 (訳)乾位兌位は金行、震巽は木行。旺相死休囚により作用の程度を見ます。

「我と同じく行くはすなわち我となす。我が生ずるの月は誠に旺となす。」


 (訳)星の五行と同じ五行の季節は、旺で星が最も強力に作用します。星の五行が生

ずる五行の季節は、相で次に強力に作用します。


「父母に廃し財に休す。鬼に囚するや真に妄ならず。」

 (訳)星の五行を生ずる五行の季節は、休で星の作用は普通です。星の五行が剋する

五行の季節は、死で星の作用は最も弱くなります。星の五行を剋する五行の季節は、囚

で星の作用は次に弱くなります。


「たとえば水宿は天蓬と號す。相は初冬と仲冬にあり。旺は正月二月、休は四月五月。

その余はこれに倣い身を研窮せよ。」

 (訳)例えば、天蓬は五行水です。相は亥月と子月にあります。旺は寅月卯月、休は

巳月午月。それ以外はこれに倣って自分で研究しなさい。


 九天星は、原書では通常、「九星」と呼ばれています。日本では「九宮」と混同されるため、従

来「九天星」という呼称が使用されて来ました。

 「九星」は、北斗七星の実星から来ているため、奇門遁甲の他の要素と大分趣が異な

っています。

 紫微斗数や七政のような星術系の考え方をしなくてはならないでしょう。

 旺相死囚休にしても、本文とは異なった解釈が存在しますが、ここでは触れないこと

にします。

 「九星」については、他の要素と異なるユニークな存在であることを述べるに止めま

す。

 九星吉凶

 大吉 天輔、天禽、天心

 小吉 天冲(衝)、天任

 小凶 天柱、天英

 大凶 天蓬、天ゼイ

(余談)

 佐藤六龍氏の「奇門遁甲活用秘儀」では、天禽が凶となっていますが、五黄との類

推による誤解と見て差し支えないと思います。原書では、吉としています。

 張耀文氏の解釈も、天禽=凶であることが著書からわかります。


「急は神に従うや緩は門に従う。三五反復すれば天道亨る。」

 (訳)急を要する時は八神の吉神に当たる方位を行けばよく、さほど急を要しない時

は三奇三吉門の方位を行けばよろしい。

 三奇三吉門と五吉星(冲、輔、禽、心、任)を反復して行けば、天道を行くことにな

ります。


 急を要する時は、三奇三吉門はかえって役に立たず、八神や九天星、特殊の方位を使

ったほうが良いということです。


「十干符を加うるにもし錯を加うれば、入墓休囚吉事危うし。」

 (訳)十干に直符を加える際、錯誤を加えれば、吉凶が違って危険です。


「斗精使となすは最も貴となし、宮を起こすに天乙を用いるは遺なし。」

 (訳)吉門を直使の門とするのは最も貴で、九星の天英が起点になれば遺漏はありま

せん。


 この二文は、直符、直使の重要性と、作盤法について念を押したものと見るべきでし

ょう。


「天目は客となし地耳は主。六甲合わせ推すは差理なし。」

 (訳)天目を客とし地耳を主とし、旬首によって数えたら、間違いありません。


「君に勧むこの玄機を失うなかれ、九星を洞Kすれば明主を輔く。」

 (訳)この玄機を失わないようにお願いします。九星を深く理解すれば明主を助ける

ことが出来ます。


「宮その門を制するはすなわち迫ならず、門その宮を制するはこれ迫雄。」

 (訳)宮の後天定位がその門を制するのは迫ではなく、門が宮を制するのを門迫とい

います。


「天網は四張にして走路なし。一、二は網底、路綜あり。」

 (訳)天網は六、七、八、九の宮に来ると逃げ道がなくなります。天網とは、天盤癸

、地盤年月日時干である方位を言います。一、二宮はたとえて言うと網が浅く、まだ逃

げ道があります。


 天網は、実効性は疑わしい面があります。天羅、地網と分けている書もありますが、

どちらにしても「神殺」的で、気にしない方がよろしいです。


「三、四宮に至りては回避し難し。八、九は高張にして西東に任す。」

 (訳)三、四宮に至っては回避し難いことになります。八、九はたとえて言うと網が

高く張った状態で、逃げ道がなくなります。


 この部分は、「門迫」以外は、原著者趙晋先生以外の人が挿入したと見られる部分で

す。本来「門迫」は、伏吟、反吟と並んで論じられるべきでしょう。

 「君に勧むこの玄機を失うなかれ、九星を洞Kすれば明主を輔く。」は、「九星五行を配するを

識るを要せば、すべからく八卦を求め経の義を考えるべし。」の直後あたりにあったものが、ここ

まで飛ばされているようにも思えます。


「節気の推移は時候定む。陰陽順逆精通を要す。」

 (訳)節気は時候によって推移するものです。陰陽順逆に精通する必要があります。


「三元積数六紀を成す。天地未だ成さず一理あり。」

 (訳)上元中元下元の三元は、二十四節気をもって七十二候の六紀をなします。(六

紀は地支六周、一周は十二数、六周は七十二数)


「歌の裡に真の妙訣を観ずるを請う。これ真賢にあらざれば相与うることなかれ。」

 (訳)煙波釣叟歌の字句の裏に真の妙訣を観ることをお願いします。この妙訣は、真

の賢者でなければ与えてはなりません。


 最後のこの部分は、従来拡張解釈されて来た嫌いもあります。奇門遁甲が兵法であることと相

俟って、秘密にして人には教えないことの理由付けにもなり得たでしょう。

 ただ、この最後の一行が、様々な「秘伝」や○○流が生ずる温床になった側面は見逃せないと考

えられます。

 現実には、「煙波釣叟歌」自体が秘密文書であるのなら、中国・台湾では書籍として容易に入手

出来るのですから、意味をなさないのですが、歌の裡に(字句の裏に)ある真の妙訣を体得するこ

とが重要であるということです。


 以上で、「煙波釣叟歌」解釈の一応の終わりと致します。

 専門書を購入しないと普通は知ることの出来ない内容ですので、ざっと目を通しただ

けでは多分何のことか分からないと思います。

 子平と奇門遁甲に関心のある方には、何らかの参考になるのではないかと思います。

 ただし、内容に関する質問はご遠慮下さいますようお願い致します。


         主な参考文献

        「奇門遁甲玄義」「奇門遁甲個別用秘義」武田考玄著

        「奇門遁甲全書」劉伯温著

        「奇門遁甲元機」宋岳珂纂輯

        「活解奇門遁甲」張昭著 (以上、「煙波釣叟歌」と表記)

        「遁甲演義」程道生撰

        「奇門法竅」孟槹増註

        「奇門遁甲概論」梁湘潤編著 (以上、「煙波釣叟賦」と表記)




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