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間違いだらけの「占い」選び

(四柱推命篇)


 日本における四柱推命の歴史は、江戸文政元年(1818)に始まります。漢学者であった桜田虎門が、正徳年間(1711〜16)に渡来していた中国唐末の原書「淵海子平」を翻訳し、「推命書」三巻として出版したのがその嚆矢です。

 しかし、桜田虎門は、推命の専門家ではなく、この書には、数々の誤釈が含まれていました(他に五行易、周易の本を残している)。また、「淵海子平」自体も、今からみると発展途上の理論であったことは否定出来ません。

 ところが、それ以後の日本の推命学習者は、この書を原典としてしまったため、天徳貴人などをはじめとする神殺をも使用し、本質である陰陽五行理論そのものを正しく理解しない「占い」的四柱推命が多くはびこる結果となりました。

 本来、子平は、知的水準の極めて高い相国(総理大臣)クラスの人々が、数世紀にわたり連綿と研究を受け継いで、高められて来たものなのです。したがって、「命理学」とも呼ばれる程の内容なのです。

 子平の原典としては、主に明代以降の「子平真詮」、「造化元鑰」(この書のみは時代不詳だが一説に清代初期とされる)、「滴天髄」を研究すべきであり、それ以外の書は部分的には良いものもありますが、中心にすえるべきではありません。「三命通會」しかりです。

 ところが、近年、透派の阿藤氏は、文献の発掘と称し、「淵海子平」の継善編や「三命通會」の明通賦が優れた理論であることを強調しているようです。

 これらは、部分的理論であって分量も少なく、少なくとも初学者の学ぶべき内容ではありませんし、譬えれば奇門遁甲における「煙波釣叟歌」とは、全く比重が異なります。

 阿藤氏は、これまで不必要に秘されてきた(透派のみで通用する部分理論ですが)五行強弱の計算方法を公開した功績(?)がありますが、「造化元鑰」を軽視することは、季節による旺相の本来的な考え方を軽視することであり、気の毒な感に堪えません。 支の孟・仲・季による調候説は、一種のパターン化であり、パターン化出来ないのが、本来の子平です。透派子平には、パターン化的思考が随所に見受けられると言っても過言ではありません。

 氏の書「子平の研究」等で学習する方は、中国正統の子平とはずれたものを習得することになるでしょう。閉じられた体系の中では、それのみが美しく感じられ、多くの事象を捨象していることに気が付きません。

 やや専門的な話になりましたが、「四柱推命」には、高度の陰陽五行理論に基づき、奇門遁甲との連携による造命開運が可能な「子平」と、一般書店で入手出来る「占い四柱推命」の2種類があることを知って頂ければ幸いです。


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