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神社参拝の可否について ー 続「お水取り」不要論


 誰しも運気の悪いときは神仏に頼ろうかなという念が生じやすくなります。
 そして神社仏閣巡りをするのですが、これには意外と落とし穴があります。
 今日はそれについてお話したいと思います。

 まず、気学という方位学で「お水取り」という祐気取りの効用が良く言われますが、誤解・誤用が多く、おすすめしていません。
 1. お水取りは本来、神社の神事の一種であり、方位・方位術とは無縁の行事である。
 2. 命運の喜忌により、水行(子平命理学の命造中の五行の水)が忌神の人はたとえ真の吉方でもお水取りが向かないと言える。
 3. 神社は霊域であるため、善霊ばかりでなく悪霊も徘徊しており、御祭神の参拝者に対する守護が届かない場合は悪霊の影響でかえって参拝したことにより運気が悪化するケースがある。

 1は、神社の宣伝の一環として気学が使用されているケースが全国各地で見られ、神社信仰と方位占いが混同されています。したがって参拝者のみを責められないのですが、別物だと了知して下さい。
 まして宮司に依頼せず勝手に境内の手洗い水等を採取する行為は本来のお水取りでもなんでもないと知って下さい。

 2は、気学では命理は見られないため、当人も気学鑑定家も知らずに行っているケースが非常に多いと言えます。
水行が忌神の人は別の開運法を実践すべきです。

 喜用の神(用神または喜神)の五行による開運法は、
木行 吉方の植木屋へ行き、竹または松の盆栽を買う。家の吉方位内に植えるか飾る。
火行 吉方の寺院のご本尊を参詣し、線香をあげて帰って来る。宗派は先祖と同じものが望ましいが、ご自分の好みに合わせても可。
土行 吉方の神社へ行き、土を一握り掘って持ち帰る。不浄の土は不可。同じ理由から寺院の土も不可。自宅の庭の吉方に穴を掘り埋めるか、ビニール袋に入れ自宅内の吉方に置く。
金行 金属の玉(運動具店にある砲丸玉)を入手し、吉方の野原か空き地に深い穴を掘って埋める。もしくは自宅内の吉方位に飾る。
水行 お水取りが有効。
 なお喜用の神をお知りになりたい方は、私(菅原光雲)に審命をご依頼下さい。

 3は、例えば東京のH神社の境内の一部が宅地となり家を建てて住んでいた事例では、事故死、自殺等数代にわたって家族に大きな不幸が生じました。これは不敬の行為にあたるため産土神(うぶすながみ)や、法力で邪気を封じ込める月読命その他の神域護持の神が守護せず、そのかわり霊域であるため寄って来た悪霊が作用したことが原因です。霊体質の方の場合、大きな悩みを抱えた状態で神社参拝すると、霊域の浄化が十分でなく参拝者の祈願の内容を傍受した悪霊が得たり賢しと要らぬお節介で憑依して来ることがあり、参拝後数日間以上人間関係のトラブルや体調不良などの不幸に見舞われることもあります。
 例外的に、吉野の脳天大神や京都の伏見稲荷など、全国的に有名な「悪霊の溜まり場」も存在し、もはや神社の機能を果たしているとは申せない所も存在します。こうした場所には「触らぬ神」で近寄らないのが賢明です。

 以上の基本的趣旨は何年も前に「お水取り不要論」「「お水取り不要論」解説」として当HPに記載いたしました。

 さて、日本で神社の代表格にあるのが「伊勢神宮」です。
 お伊勢参りをしてはいけない年があるということはあまり知られていません。
 この点については二代目小林白龍子先生が著書ではっきり説いています。
 ただ、私は伊勢神宮のみでなく全ての神社参拝に関してこの法則が該当することを発見しました。
 ここでは、この平易にわかる分類法で今年の神社参拝の功徳の有無を記したいと思います。
 なお、私は年の境を一般と異なり節気の「小寒」に置いているので、例年太陽暦の1月6日前後の「小寒」が年境となります

 今年(令和2年)の神社参拝の吉凶は、

 寅卯の年生まれの人 「大吉です」

 丑辰未戌の年生まれの人 「福運で安泰」

 亥子年生まれの人 「大凶です」

 巳午年生まれの人 「夫婦共短命になります」

 申酉年生まれの人 「悪いことが起きます」

 伊勢神宮への参拝が暗転した事例として、明治22年、森有礼文部大臣が正月参拝の直後、紀元節(現建国記念の日)に右翼青年に暗殺されたというケースがあります。この場合は服喪中の参拝で不敬の行為に該当したため守護がなく、また同時に本人の凶運中で霊域に行ったため悪霊の作用を受けたのが原因です。
 なお、伊勢神宮は皇祖神天照大御神を祀る神社であり当時の大臣とはいえ民間人が参拝するには一考の余地ある神域であることも付け加えます。

註 凶年の制化方法に関しましては、『寺社信仰と開運』の購読をお奨め致します。

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