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立向と座山に関する一考察


 日本の奇門遁甲について一言苦情を申し上げます。
 まず、一般の方は、「三國志演義」に出てくる諸葛孔明が用いた「八門遁甲」のイメージが強いらしく、何か超自然的な現象を起こせる魔術のようなものを連想するようです。また、日本に昔伝わった奇門遁甲は、「忍術」的なものに変質してしまい、正統派は影を潜めてしまいました。その分、「気学」、「方鑑」等の隆盛を見たのが日本における方位術の歴史と言えます。
 近年においては、太平洋戦争後に、内藤文穏氏がいち早く中国の奇門遁甲の研究を始め、現在でも第一人者です。しかし、その経緯において、氏は気学及び「透派奇門遁甲」を各10年ずつ師について学ばれたため、その影響を引きずっており、必ずしも中国伝統の奇門遁甲とは言えません。
 特に問題があると思われるのが(専門的な部分はここでは触れることが出来ませんが)、「向盤」「座盤」という概念です。
 これは、実は「透派奇門遁甲」に由来する分類であり、透派では「立向盤」「座山盤」と呼んでいます。
 しかし、中国伝統の奇門遁甲には、本来この分類はないのです
 「立向盤」にあたるもののみが中国、台湾の多くの流派では用いられています
 さらに不思議なのが、日本の「遁甲家」の方々です。田口真堂さんをはじめ、異口同音に透派の特徴である「座山盤」について言及されますが、これは中国原書を読んだことがない、または少なくとも「透派」の影響を脱していないことを意味しています。
 私も当初はこの「立向」「座山」を受け入れていましたが、いわゆる「造作法」に疑問を抱き出したあたりから「座山」にも不審の念を持ち始め、さらに中国原書を調べ出したところ、主要な文献には「立向」「座山」の用語すら見当たらないことがわかりました
 透派で過去出していた「秘伝書」に、「都天撼竜経八十一論」の和訳本がありますが、これ自体古書に存在の記載はあるものの内容が書き換えられていない保証はどこにもなく(「選宅三白」のみ確実だが、他の八書は清代の著名な遁甲書では存在が未確認としている)、信憑性に今一つの疑問があります。
 従って、奇門遁甲において「立向」「座山」を言うのは、古今を通じて透派のみであると断定出来ます。(透派が遁甲理論において主に依拠している明代初期の劉伯温氏自身は、「立向」「座山」をどこにも書き残していません。唯一、透派の解釈本に掲載されているのみです。)
 以上から、自己流または中国正統を名乗りながら、「立向」「座山」を言う「遁甲家」は、その点詐欺を犯しているとも言えましょう。
 ちなみに、武田考玄氏は、初期においては著作に透派を引用された関係上(引用を明記してあった)、「立向」「座山」を言っておられましたが、近年はやはり気づかれたと見え、最近の著作では全く言っておられません。
 私は、奇門遁甲の現状を語る意味を含めて、『光雲流奇門遁甲術(初級篇)』に座山盤の作盤法を掲載しましたが、上のような意味合いからも、決してこれで造作法など実行されないよう老婆心から申し上げておきます。
 実効性において、「座山」は「立向」に比べかなり劣ることが解っています。

以上文責  菅原光雲


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