人物・文献を中心とした奇門遁甲の歴史です。
B.C.2500年頃?
黄帝(軒轅)夢中に九天玄女から符を授かり、風后らに命じて奇門遁甲を作成す。
文献上、九天玄女が授けたのは4,320局(一時一換)、風后が作成したのは1,080局(十時一換)の奇門遁甲であり、両者に食い違いが見られる。
西周
B.C.1100年頃
周の文王に仕えた呂尚(太公望) 奇門遁甲により百戦百勝。72局(六十時一換)とする。
春秋
「伍子胥遁甲文信」(伍子胥)
秦
「太公兵法」(黄石公著)
前漢
前漢高祖(劉邦)に仕えた張良(張子房) 参謀として建国に貢献する。18局とする。
三国
蜀漢劉備に仕えた諸葛亮(孔明) 軍師・宰相として活躍。
「金函玉鏡」(伝諸葛亮著) 三日一換、120局の日盤行兵遁甲
「玄機賦」(伝諸葛亮著) 八神を中心とする行軍占を説いたもの
隋
「隋志」 「都芳遁甲経」「葛秘三元遁甲図」等、失われた文献名の記載がある
唐
一行禅師(683〜727)、帝命により奇門遁甲の真伝を調査す。その後故意に偽伝を民間に流布したとの説あり。
一説に「太白陰経」。年代に確証はなし。
北宋
宋の太祖に仕えた趙晋 軍師として建国に貢献する。「煙波釣叟歌」を著す。
「煙波釣叟歌」 事実上は最古の現存文献と見られる
南宋
高宗に仕えた岳飛(1103〜1141) 九遁の法を遺す。
「奇門五総亀」 おそらく現存最古の体系書
明
明の太祖(洪武帝)に仕えた劉基(伯温) 宰相として建国に貢献する。五術に通じた大家。
「奇門天書」(伝劉伯温著) 「四十格」の記載がある
「奇門地書」(伝劉伯温著) 節気超神の法、置閏法の丁寧な説明があるが、後代の「活盤奇門遁甲統宗大全」と同一の清時代の年号を例に説明していることから、透派の評註書以外は存在が疑わしい。坊間流布書も清代以降のものと思われます。
「陽宅遁甲図」(劉伯温著) 奇門遁甲による家相の見方を説いたもの
「奇門遁甲全書」(劉伯温編) 重複が多いが網羅的。72局のみ説明している。
「奇門一得」(甘霖撰) 時盤に1,080局が採用されています。天盤地盤の関係(八門と宮の天地、干の天地)で判断します。
清
「活盤奇門遁甲統宗大全」 伝諸葛亮著に後代の解釈を加えた編者不明の書
1725年「古今図書集成」
乾隆46年欽定四庫全書「遁甲演義」 清代における公式編纂書
同治9年「奇門法竅」(孟槹著、手抄本)
「奇門金章」(不著撰人名)
成立時代・年代不明の書
「遁甲玉函符応経」「奇門大成」「奇門聖霊経」
その他、「手抄本」の類は数限りなくあると思われます。
今後判明の分は追加・修正していく予定です。しかしながら、中国現存文献には後人の加除を経たものが極めて多く、成立年代を特定出来ない書の中には偽書が非常に多いのが現状です。したがって、奇門遁甲術については古書を新発見したとしてもまずは疑ってかかるべきで、権威付けのため中国の特定書を研究したとする論には注意しなければなりません。自らの実践により構築した理論でなくては使えません。
上に挙げた文献で一部未確認のものもございます。
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