さて本論になりますが、倉木麻衣さんの命運卦は「天沢履」で、時宮には天干己土と七赤が回座しており、ディーヴァ(歌姫)の道へと進んだことは天職でした。
時宮坤に天英星が入宮していることは、相当な才女で、作品の歌詞にも卓越したものがあり、英詩や微妙な乙女心の歌詞を多数書き、今日まで人気を博しています。
命運卦の「天沢履」には危険含みの側面があることには注意なさらないといけません。しかし、象意上、こちらが沢で魅力的な少女であり、相手が天で、お父さん、おじさま、社長、スポンサー等の保護者を表象しますので、それに相当する状況下に置かれる場合は問題ありません。実際はGIZAの親会社であるBeingの長戸大幸氏に才能を見い出され拾われた形で、1999年に「Baby I Like」でUSAデビュー、12月に「Love, Day After Tomorrow」で日本デビューしました(GIZA専属)。
危険含みではあるものの礼儀正しければ良い、とされる「天沢履」卦。彼女の礼儀正しさは有名であり、所属事務所LOOPの升田氏、長戸氏に礼儀を尽くして頼ったのが成功へと歩みだす一因となりました。 命宮が乾で、やや男性的なところもあり、大衆性が強いといえます。自説を押し付ける傾向もあり、歌詞にもそれが見られます。倉木さんの過去の作品の歌詞には「あなた」という女性的な表現があまり現れず、多くの曲中で「君」そして時折「僕」が使われることと、作品中の「愛」はエロスではなくアガペーを表すことが多かった点で、性的に neutral 、「中性」的と従来多く評されました。命宮乾ですので実生活は意外に質素なところがあるかも知れません。
2001年には九紫が巡っており、「happy live」が大成功。飛躍の年でした。
2003年は七赤暗剣で、アルバム「If I Believe」を出しましたが、プロモーション上ややアイドル色が強調されました。
この年の年運卦は「地沢臨」になり、暗剣付きのため、目上・貴人の助力に難があります。
実際は倉木さんの担当ディレクターが東京のGIZA MUSICへ配転になり、NHK紅白歌合戦(第54回)初出場直後の2004年元旦発売「Wish You The Best」(初ベストアルバム)以外は2005年8月発表の「FUSE OF LOVE」まで丸2年間、アルバムリリースがありませんでした。倉木さんのアーティストとしての既往のヒストリー上、例外的なことです。この年、人の和を得られなかった可能性もあります。
時宮命運卦は「水沢節」であり、節度のある性格がプラスに働いているのも見逃せません。
2004年は六白ですが「水天需」(物事が延期となる象意)の年運で、新曲がシングル「明日へ架ける橋」の1枚しかなく、ファンは待たされました。
2005年は、五黄で凶の年。ニューシングルが、年初から2回連続オリコン初登場5位。当時CD不況でしたが、初動売り上げ数字も過去最低記録を更新。20曲連続初登場5位以内という偉業を達成するも、ひところの勢いがなく、翳りが見られました。ご本人が引いた新春のおみくじも3回連続凶だったそうで、「今年は凶」と言っていましたが、結果的にあまり良くない年運ではあってもご本人の努力で相当挽回したようです。
2006年は、「雷風恒」で集散の激しい年。人的な離合が定まらず、新曲「白い雪」では惜念が語られた模様です。
2007年は、「地雷復」で旧に復する年。活動拠点が関東に移り、年末リリースアルバムの「ONE LIFE」にはR&B色のある作品が復活しました。
2008年は、「沢地萃」で人的・物的資源が多く集まる年ですが、ある程度選別も必要かと思われます。