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奇門遁甲 コラム3

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『「活盤」「飛盤」について』



光雲 2003年8月24日(日) 0:31:30 198.81.3.167 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 Kさんの本は、『活盤奇門遁甲統宗大全』に代表される5日1局(60刻1換局)を前提にしており、10時1局(10刻1換局)の本ではありません。

 透派でいえば「座山盤」に相当する局数体系です。

 実効性についてですが、10時1局に比べるとかなり薄いと言えると思います。

 そして、数の多さから言えば「標準的」と言えましょうが、あくまで中国における流派の現状把握としての標準であり、実効性としての標準ではありません。

 日本人は何でも標準化したがる傾向があり、仮に百歩譲って科学性という観点から意義を認めるとしても、奇門遁甲は一人一派なので、そもそも「標準的遁甲」という概念は実益に乏しいのです。

 さらに奇門遁甲の堂奥には各派心法が存在し、科学性のみで説明できるものではありません。

 内藤氏の遁甲の体系には「活盤」(静盤)「飛盤」(動盤)があり、動静連結法があります。一般的に動の方位には飛盤を使用します。

 方位術の実効性には、命運や個人差が関わってくるため、一見飛盤で効果が出ないように見える場合もありますが、だから活盤のほうが効果があるとは言えません。

 次に、「紫白星」という表現ですが、風水書における表現で、奇門遁甲にはあまり相応しくありません。風水寄りの遁甲である内藤氏でさえ、この表現は使用していません。中宮を含む定位宮を表すのが本義としても、「九宮」で構わないですし、原書では「九宮」としています。

(本記事一部加筆修正)


『奇門遁甲の効用について』



光雲 2003年12月18日(木) 11:34:29 61.44.120.95 削除・編集 スレッドの一覧・返信

 まず、現代流行の「ひきこもり」解消に大きな効果があります。

 吉時吉方を選定したら、実行すれば良いことが起こる、慶事が待っているわけですから、内向的性格の方でも外に出て行かざるを得ないので、より積極的になります。他人は外面しか見ていないものですので、行動的な人と見られる分、思わぬ得があるかも知れません。この点、風水とは違う長所があります。

 さて、関連して思い出されるのが、「五不遇時」という概念です。これは相当古くから存在しますが、風水の選日法と無関係ではありません。この日時に外出すると悪いことがあると言われ、いわゆる八方塞がりになるわけですが、個人差まで考慮に入れるとこの凶格は無効に近くなります。

 奇門遁甲には一部、風水寄り・太乙寄りの理論が混入していますが、「五不遇時」もその代表的なものの1つと考えています。これは集団利用の場合の理論です。

 実例として、私自身、個人差を120%配慮した方位使用をして、大吉の効果を得た経験がありますが、その日時は「五不遇時」(T派では死官の不遇時とされています)でした。「ある遁甲実験」の事例がそれで、期待可能性のない所から即日10万、翌日50万入りました。この点さらに申し上げますと、遁甲では太乙・風水に比べ個人利用の色彩が強くなっている(特にT派ではそのように着色したように見受けられます)のですが、個人利用という次元では、子平の喜忌が優先する、という実例であったと思います。

 その他、健康面での効用は特にあり、気学では手に負えなかった末期癌(肝臓)の方の延命に成功いたしました。

 また、気学では重大な凶方とされる方位を意図的に使って、吉に転化したこともあります。

 したがって、気学、符使式奇門遁甲を含めて、方位の常識がいかに当てにならないものであるかということです。私は、既存の流派の方位学の欠点は修正して使用しています。

 次に、「奇門遁甲の上手は命理を重んずる」ということが言えます。

 奇門命理は、内藤氏以降特に盛んに研究されるようになりましたが、国内では今でも透派系の看法が主流で、旧態依然とした状況です。そして、内藤氏の命身宮論は、気学の傾斜法に過ぎないと一般に見られています。即ち、別々な理論として見られ、統合理論が見当たらないということです。

 「そもそも方位よりも命理のほうが大事である」という考え方こそ正論です。ところが日本人の場合、方位でギャンブルに成功したい、好きな異性を獲得したい、上手いこと出世したい、といった具合に、命運による避凶は考えず、方位といえば方位一点張りの考えの人がかなり多く、奇門遁甲は方位の術だという思い込みがあります。

 そういう考えだからこそ、近視眼的に短期の結果のみ追求し、「当たらない」と思って離れていく人もいるのだと思わざるを得ません。それは、会社の営業成績を上げるということと極めて近い発想ですね。非常に作為的です。

 人間のする行為に作為でないものはない、という考えもあるでしょうが、物事は全て程度問題で、自分一人で生きているのなら何をしてもいいでしょうが、他者との関わりの中でやっていく以上は、良悪含めて互いに影響を及ぼすわけです。

 そこで、自己中心的な方位使用をしてはならない、客観的に善意の第三者が見て概ね妥当として許容される範囲内での方位使用になっているかどうか、その自己チェックが必要だということになります。これがないと思わぬ方向にそれて行くものですし、目的・手段が良くなければいつかは巡り巡って自分に帰って来るので、奇門遁甲は因果の鎖の中で作用し、結果を促進する触媒であることを忘れてはならないと思います。

(本記事一部加筆修正)

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