アクセスランキング

気学は日本兵法の末裔を「仮に」代表するものとして選ばれた傀儡方位術



(背景図式)

 明治維新(1867)、西南戦争(1877)後、内戦がなくなった
→ 日本の伝統文化としての「兵法(ひょうほう)」消滅の危機(例えば維新の理論的指導者の長州藩士 吉田松陰は、山鹿素行の軍学を修めていた。)
→ 伝統は守りたいが秘伝は明かせない、もしくは各派秘伝の究明は口訣のため容易ではない = 伝統的な日本兵法(にほんひょうほう)そのものは公式に残せない
→ この方位学の過渡期に巷間の需要を満たすべく絶妙のタイミングで、日本の軍学の占術の一部に含まれていた「九宮」を中心とする方鑒を体系化して残すため、明治20年代頃、中国原典を調査し、現在の「気学家相」をまとめた人がいた = 園田真次郎(荻野地角)(明治9〜昭和36)

 その際使用したのが三合派風水の書「三白寶海」「陽明按索」「郭氏元経」、それらを包含する「陰陽五要奇書」という明治22年8月出版の一書。同書には「八門遁甲」という名の方位術の説明も若干含まれており、園田氏はこの本が真の方位学だと思い込んだ可能性がある。また、現在考証は難しいが、この本一冊程度の知識を主要なベースに「気学」を作ってしまった可能性もある。(否、むしろ江戸・明治期の地相・家相・方位学書をまとめ上げる際に調査した中国原書が、それらに近い内容だった「陰陽五要奇書」であり、オリジナルの理論的典拠としたというのがより実態に近い)そして明治42年、「気学小筌」を著す。気学という用語が世に出た始まりである。そして大正13年、「大気の学問をする」という意味で付けた名称であると氏は説明し、翌14年には気学を講義し始める。しかしそれにより、日本では方位と地相・家相が混同され、動的方位区分をするのに各地の磁偏差修正をする、という誤ったことが横行する結果になった。気学が動的方位でなく静的方位の「風水」の書を典拠に持ったための結果である。(ちなみに明治28年には正統的な奇門遁甲書の1つである「八門遁甲五要宝典 陰陽発秘」が犬山龍叟氏により発刊されている。園田氏はそれに気付かなかったと見える)
 議論は枝葉に渉るが、本来の動的方位術である奇門遁甲と静的方位区分を使用する風水の原理は異なるにも拘らず、「陰陽五要奇書」では原理的に両者を混同しているため、後世の園田はわからず、「気」というボーっとした名称を術名にする他はなかったのであろう。その際、方位学の一派であることは認識しつつも地磁気を原理とするので「地磁気学」としたかったが、学問的(科学的)な地磁気学とは異なるため「気学」としたと思われる節もある。
 結論的に、気学は「園田流方位学」の体系だというのが実態と言って良い。大正期において影響力が大きかったため、それが現在の標準的な気学の流れになっている。
 「日本兵法の真伝は公教出来ないため、代りに偽伝の気学を「日本独特のもの」として流布した」それが「天意」だったかどうかは疑問であり、むしろ地上の人間の錯誤の結果ととらえるべきであろう。色々なものがあって良い、ということと、瓦を捨て玉を拾うということとは別であり、後者があってこそ進歩もあるというものである。もしそうでなければ、「天意」もいい加減なもので尊重に値しないことになろう。「中国発偽伝」の傀儡となってしまった園田氏は、帰天後さぞや悔やんだことだろう。(明治21年出版 尾島碩聞氏著「方鑒大成」の題辞を、元徳川幕府「軍艦奉行」だった勝海舟が書いており、方鑒と軍学が無関係でないことが、改めて傍証されるというものである)
 したがって、気学の奥伝として標準的な気学の吉凶帰結と全く異なる内容を教える人があるとすれば、それは気学などではなく、日本兵法の一派もしくはその末裔であると言って良い。

 ところで、中国伝来の奇門遁甲が割りに「戦略的」なのに比し、日本兵法は「戦術的」である。大草原を遠く騎馬で行く戦いと、局地的な攻防とでは異なる。日本で奇門遁甲があまり使用されなかったのは、気候風土と戦いの様相の差異が大きいとされる。ただし、これは日本兵法について言えることである。現代の気学家が多くこの説明を援用することは、限りなく詐欺罪に近い。
 気学は静的方位術のため、兵法ではなく「戦争には使えない」。家宅風水寄りの術であるが、中途半端でマイルドな味の毒にも薬にもならない、牙を抜かれて人畜無害化した獅子の子、もしくは孫のような術である。別の喩えでは、何重にもコピーされた結果、もはやロクに判読出来なくなった元原稿のようなものである。
 歴史的背景として、中国唐代以降の真伝奇門遁甲流布の禁(「戦争に使えるため」)と、表裏しての三合派風水奨励に並行する農民土地定着施策がある。
 中国の歴史的産物としての偽伝風水書を有難く受け取ってしまった大正期日本人のお人好しで軽率な行為により、その後の日本に方位学の偽伝が普及することになった。
★★


トップページへ





Copyright (C) 1999-2005 Kouun Sugawara (菅原光雲)